授業で向き合う若い学生の中に、自分を取り巻く環境への関心や興味のレベルが低かったり、興味や関心を持つ事象の数が絶対的に少ないケースが一定数存在していることがずっと気になっています(注:一定数、です)。
頭の上に立っているアンテナの数が少ないのだと思うのですが、アンテナの数が少ないと、例え興味深い情報が周りに飛び交っていても
それをキャッチすることができない➡
故にアンテナが増えない➡
故に関心が薄いまま・興味が持てないまま➡
という悪循環に陥ってしまいます。
アンテナが短いのは(若さゆえ)しょうがないとしても、アンテナの数を少しでも増やしてもらいたいというのは、私が教員になってからずっと抱いている学生さんへの思いです。
先日、担当している「プレゼンテーション」のクラスで実施したとあるワーク(改めて紹介します)に対し、学生からこんなふりかえりコメントを貰いました。
『何かの理解を深めたいとき、望まれる感情とは逆の感情を体験させることで、伝えたいことの重要性が伝わるということを発見した。
何かを失って初めてその重要性に気づくことが日常には溢れていることからも、大事な要素を消した状態を体験することは、人にその重要性を伝えるときに使える1つの方法だと感じた(原文は以下画像にて、青字は加藤のコメント)。』
こんな風にワークを理解し落とし込んでくれたことがまず嬉しかったのですが、このふりかえりを読んでいて、このアンテナの話も「逆の感情を体験させる」というワークを使って理解してもらうことができるのではないかと考えました。
使うのは新聞。新聞をグループに配り、一定時間みんなで確認する中で、「へぇ〜!」と思ったことや「おもしろい!」と思ったこと、単純に心が動いたことを切り抜いて、張り出してもらうワークを考えました。
ワークを通じて、日々の自分の情報収集の方法(スマホで表示されるものや検索結果等)と、こうした「ふらりと立ち寄る」「何となく視線を動かす」方法ででは、得られる情報の幅に差があることが認識してもらえたらと思っています。
また、アルゴリズムの発達により、実は自分が「自分が興味のある世界」だけで生きている可能性があること、そしてその傾向は加速度的に高まっているということを実感してもらえたらと思っています。
新聞を印刷された紙面で読んでいた時は、ふと視線を下欄に移すと、新刊書籍の紹介があったり、週刊誌の広告があったり、はたまた特定の購買層に向けた興味深い商品の広告があったり(…想像にお任せします笑…)して…。
「あ〜こんな小説が流行っているのだな」
「世間ではこんなことが話題になっているのか」
「こういうニーズがこういうデモグラフィックにあるのだな」
などと、思いを巡らせることができました。
また、図書館で資料を探している時もそうでした。目当ての本を見つけた時、その両側にある本にも自然に目が行きます。そこでパラパラページを捲っていると、新しい発見があったり、アイディアをもらうこともありました。
SNSやGoogleなど、スマホで何でも検索できるようになったことで、自分が直接関心を示さなかった世界についての知識を得る機会が激減しています。
「激減している」という状況やそのリスクを伝えられるのは、こうした世界になる前を知っているオトナの責任ではないかと…。
明日の授業で早速効果検証してみます。結果は追記の形で書き出してみようと思います。